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池袋西口公園の原点(2) [本]

石田衣良さんの「手のひらの迷路」。少し間が開いてしまったけど、後半の感想。


てのひらの迷路 (講談社文庫)

てのひらの迷路 (講談社文庫)

  • 作者: 石田 衣良
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/12/14
  • メディア: 文庫


左手

ひとつ前の「片脚」と対になるお話。今度は彼氏の左手を彼女宅に送り、彼女がいたぶる番だ。設定は同じ。指先の触覚はあり、声も聞こえる。匂いはむしろ敏感になるくらい。そしてやはり目は見えない。

「片脚」もそうだったが、パーツで来られるとホストはひたすら奉仕する側に徹する。文字通り手足が出せない状況なので、パーツ側は受け身にならざるを得ない。そしてホスト側は攻める一方で自らの悦びは後回し。

一瞬、不思議だなと思ったけど、良く考えると自分も同じことをするのかな。対等な時はお互いに求め、同時にお互いに与えようとする。そのバランスが崩れた時に、片方は与えることに徹し、もう片方はそれに身を任せ、全力で受け取るのに徹する。それが自然な流れなのかな。

レイン、レイン、レイン

これはどちらかと言うとエッセイな作品。著者の「雨が好き」遍歴を余すことなく書き綴っている。

小学生の時の著者。雨を見上げ目に入る直前まで見る。口を開け、落ちる雨を味わう。頬や首筋を流れる感覚、そして水たまりに広がる波紋にリズムを感じる。五感全てを使って、楽しむ様に、雨に対する尋常ではない愛を感じる。高校生になってからは自転車で雨の中を走る。ガードマンのバイトでは雨の中、ひたすら立ち続ける。

何も奇をてらわず、スラスラっと想い出話を書いている感じ。とはいえ、そう感じさせるところにも著者のテクニックがあるのだと思うけど。

ジェラシー

待望の子供ができた夫婦に訪れる恐ろしい出来事を綴ったショートショートホラー。「世にも奇妙な物語」のネタのようでもあり、喪黒福造が出てくる話のようにも見える。

それにしても、著者も前書きに書いているが、赤ちゃんが家にやってくるというのは突然だ。突然、家族構成メンバーが一人増える。もちろんその前の約10ヶ月(発覚してからはもう少し短いか…)の間、準備期間がある。ベッドを用意したり服を揃えたり。盛り上がるお腹の中から蹴りを入れる足型がふんわり見えたりもする。奥さまは「あいたたた」とか言ってるけど。

なので来ることはわかってる。でも、小さいけど人間の形になってやってくると全然違う。寝かされているだけで存在感アリアリ。奥さまの意識もそちらに集中していて、このお話の旦那さんのようになってしまうのもわからんでもない。

まぁ、普通は旦那さんじゃなくて、お兄ちゃんやお姉ちゃんだったりするが、そういえばうちでも似たようなことがあった。うちは2人姉妹で下の子が来た時のこと。上の子はまだ3歳前だった。親が可愛がるので、それにつられてか、何かと世話を焼こうとする。ああ、赤ちゃん返りとかウチはないのかなと思っていたが、夜遅くなって「ねぇ、赤ちゃん、いつ帰るの?」と聞かれた。

そうだよな。これまでママ友の赤ちゃんとかウチに来ることはよくあった。が、それはお友達で、必ず帰って行った。それが今回ばかりは違う。「ずっとウチにいるんだよ」と説明した時に見せた顔は忘れられないな。

オリンピックの人

主人公の女性には4年に一度だけバッタリ会う人がいる。オリンピックの年の夏。その時には必ず悩みを抱えていて、それを聞いて貰い、そして一緒に寝てしまう。

彼の助言は適切で、彼女は彼のおかげで過去二回の仕事上の悩みを乗り越えられた。今回も彼氏のことで悩んでいたが、「続けたら良い」という助言に従うことにする。そして「だったら今回はなしだね」という彼氏に「ありでいいよ」と答える。彼の前だけではありのままの自分でいられる。4年に一度、数時間だけだけど。リフレッシュし、そして明日からまた偽りの自分を続ける。

この話で思うのは、彼氏の助言はホントに正しいのだろうかということ。仕事でもプライベートでも本当の自分を出せない選択をしている。多かれ少なかれ自分を装うことは誰でもあるけど、ありのままの自分が4年に一度というのはどうなのかな。

人は自分の決断に固執するもの。決断が間違っていたと思いたくないから。だから普通の人は損切りとかサンクコストの考えとかができない。彼女もきっと同じだろう。私はこの人を信じて、そして正しい決断をしている。そして彼に身を捧げ、同時に自らを解放している。4年に一度困った時に必ず会えるのは、そういう運命の証。私は間違ってない。

でももし違った決断をしていたらどうだろう。例えば4年に一度じゃなくて毎日会うことにしたら? もっとシアワセになれたりしない?物語的には、毎日会ったらマジックが消えてしまう。4年に一度だからいい。ってなるよね。でも、現実的にはどうだろ?

LOST IN 渋谷

フィクションな話が二つ続いた後は、再びエッセイな一遍。作者が渋谷の街をぶらり一人旅した情景を綴る。

読んでいてとても心地よいのは、きっと著者が一人の時間を楽しんでいるから。何をするわけでもなく、でも、見るもの聞くもの味わうもの、それぞれに心を寄せて愛でている感じ。合うもの合わないものはあっても批判はない。

なんとなく渋谷に居続けて夜の12時過ぎ。デートをすっぽかされた女の子に声をかけられる。その誘いをあっさり断り立ち去る。実はその少し前に彼女と別れた設定で、だったらなおさらと思うが、彼女との思いでがまだ残っていてそんな気分にならないという。

んー、なんかここだけ作ってるよねー。最後も混んだ終電に乗る孤独に耐えられないって言ってるけど、なんか、らしくないなぁ。でもそんなものなのかな。普段孤独を愛していても、パートナーに去られると感傷的になる。のかも。

地の精

これは事実をベースにファンタジーな要素を加えた作品。冷やかし半分に見に行った土地を気に入ってしまい、衝動買いしてしまう話。

土地と同時、莫大なローンを抱える事になるが、案外ケロっとしている。大きな決断をする時ってそんなものなのかもしれない。勢いというと軽率な判断のように聞こえるが、何かを決める時に自然な流れにスッと乗れることがある。何か不思議な力が働いているようで、著者が妖精を持ち出す気持ちもよく分かる。

逆に、何か引っ掛ったり、迷ったりした場合はダメなことが多い。いい波が来ているのを横で眺めながら、「次に乗ろう」と何度かやり過ごすうちに機会を逃す。そして乗らなくて良い理由を探し始め、それにこだわり、自分を納得させようとする。本当は抜け出したいのに。自分もたまにそういう状況に陥るが、そうなると危険信号。

そんな時は「取り敢えず飛び込め」って妖精がささやく。必死で泳いでいるうちになんとかなるもんだ。

イン・ザ・カラオケボックス

カラオケボックスの中で十代の少女と対談するという話。これも実際の出来事に基づいている。

彼女は派手なメークに左右色違いのカラーコンタクト。3日間、家に帰っておらず、風呂にも入っていない。彼女から感じるのは、多少背伸びし、迷いながら、流されながらも、自分の生きる場所、生き方を探すポジティブな印象。そして「自由」の意味をよく知っている。

無駄にムチャや失敗を繰り返す必要はないけど、やってみないとわからないことってたくさんある。やってみて、直に感じて、そして修正してまたやってみての繰り返し。決断が身に染みてない人は頭だけで良し悪しを判断しがちだけど、この子はきっと違う。ここでの経験が将来きっと役に立つはず。

何てことを勝手に想像してみた。

I氏の生活と意見

著者が小説を書き始めた経緯を綴っている。

フリーランスな仕事で贅沢を言わなければ収入に不満はない。むしろ趣味に時間を費やせるのが良い。好きな本と音楽と映画の日々を送っている。結局、それに飽きて小説を書き始めて今に至るのだが、好きなことを飽きるまでやれるというのは羨ましくもあり、同時にそうなったら残念だろうなとも思う。

自分も若い頃に同じようなことを考えたことがある。何があれば生きていけるだろうか。しばらく考えて、自分は「本と楽器(ギター)」だなと思った。将来の見込みも何もなく、どれくらい自分が稼げるのか、自分がどれだけ評価されるのか、何の見通しもない中で考えたことだった。それが、立派な家でもなく、綺麗な奥さんでもなく、学生の頃の延長のような理想形。

「きっとこの後、変わるだろうから憶えておこう」と思ったので記憶していた。そして、今同じ質問を自分にして、変わっていないことに驚く。もちろんこれまでそれ以外のあれこれを手に入れてきたこともあるのだと思う。だが、変わっていないこと以上に驚くのが「同じ自分なんだから変わるわけないじゃん」という感覚。

将来の自分を考えた時には不連続なsomething different な自分を思い浮かべ、過去の自分を思い返す時には連続的な今のままの自分がいるという事かな。

コンプレックス

これも好きな作品の一つ。コンプレックスを抱える彼女とその壁をなんとか超えさせようという彼氏との会話。少しエッチな中身よりも、会話のテンポとか、噛み合っていそうでいなさ加減だとか、そういうところが良いなと思う。

ちなみにここで著者が言っているコンプレックスは「劣等コンプレックス」のことで、人よりも自分が劣っていると感じる事によって生じる様々な感情の組み合わせ。コンプレックスという用語は本来はもう少し範囲が広い。例えばファザコン、ロリコンとかもコンプレックスの一種。

ともかく、ここでは女性が感じる劣等コンプレックスと、それを男性から見た場合の差がテーマになっている。前書きでの「女性は意味不明な微妙な部分ばかり気にしている」というのは言い過ぎとしても、同じように感じることはある。

気にする気持ちはわかるけど、それが気にならなくなるくらい我を忘れて欲しい、とか。もしかすると、そうさせる事のできない自分のコンプレックスの裏返しなのかも(笑)

それから、全然別のポイント。他の短編でも気になってたのだが、著者の味覚に対するこだわりが凄い。それも男女の間の話で。「ぼくはきみの身体については隅から隅までふれてるし、味もにおいも知ってるんだよ」ってサラリと言ってるけど、味かーと思う。「片脚」でも、「ぼくは冷えた白ワインをのんだ。かすかな酸味に彼女の汗の味を思い出す。それはぼくの大好きな味だ」とか。

味覚フェチとでも言えそうな書きっぷり。でもわからんでもないな。

短篇小説のレシピ

小説を書く過程を小説(というよりもエッセイか)にした作品。

自分はこの手の「締め切りが迫ってきたけど何も書けないので、書けない様を取り敢えず書き始める」というタイプの著作があまり好きではない。プロでもきっとそういうことあるよね、とは思うが、だからと言ってそれを堂々と書かれちゃうとちょっと興醒め。

それでもこれの後半の発想法のところは面白い。真っ白な紙にキーワードを書いていく。そしてそこから感じる何かを繋げる。同じ意味合いで形を変えてみる。すると、あれって思えるフレーズに出会えることがある。これってどういうことだろう。それはきっと不自然な、今まで見た事のないフレーズ。説明してもらわないとわからない。ここまで来ると何か書き始められる。つまり、その説明をつけるための過程をお話しにすれば良い。

これって新しい商品のコンセプトを作る過程に似ている。何かが少しだけおかしい、フレーズが作れると先がとても楽になる。著者は元々、広告の仕事をしていたらしいので、きっとそれとも似たようなアプローチなんだろうなと思う。

モノづくりは楽しくもあり、そして苦しくもあり、それはどこの世界も一緒なのかな。

最期と、最期のひとつまえの嘘

ひとつ前の話で構想したお話の完成版。

ホテルの部屋にいるときに倒れてしまう主人公。それをシャワーから出てきた不倫相手が見つけて、迷った末に119番する。上司と部下の関係であることもあり、なんとか取り繕い、奥さんに引き渡す。

この話では不倫相手と奥さん双方に「お前が一番だった」と伝える。それが最期と、最期のひとつ前の嘘ということになるのだが、正直あまりピンとこない。この主人公にとっては、むしろ両方とも偽らざる本音なんじゃないかなという感じもする。本音は必ずしも辻褄が合っているとは限らない。それぞれ好きで、そして選べないからこそこういう関係が続いてしまっているんだろう。この夫婦には子供はいないという設定なので余計にそう感じる。

むしろ嘘をついているとするとこの奥さんかな。奥さんは旦那が不倫していることを知っていて黙っていた。そして最期の最期で、取り乱しながら「いくら嘘でも、不倫でもいいから、もっと生きて。傷つけてもいいから生き返って言い訳してよ」と言う。

こんなこと言われたら男はイチコロです。もう、絶対離れられない。裏切れなくなる。でもね、女は皆、女優です。自分自身を騙してでもこういう台詞を吐ける方々です。それをわかった上で、その一枚上をいくのか、その手のひらの上で転がされるのを良しとするか、どちらかを選べば良い。

さよなら さよなら さよなら

この短篇集の最後のお話。著者が思い入れのあった三つの品物に対する思い出を語る。題材はラジカセと自転車とワープロ。それだったら自分も少し語れる。

まず、ラジカセ。著者と同じように音楽番組を聴きながらエアチェックしてた。曲紹介が始まるとREC and Pause にしておいて、曲の始まる直前にPauseを解除。そうするとブチッという音が入らずに綺麗に録れる。

機種名まで覚えてないけどメーカーは今は亡きAIWAだった。そして初めて録った洋楽が、Earth, Wind and Fireの"September"。それまで歌謡曲とかは聴いていたし、ビリー・ジョエルとかは流れてるのを耳にしていたと思うけど、たぶんリアルタイムで真面目に聴いた洋楽はこれが初めてだったと思う。あのラジカセは叔父さんに譲って貰ったものだったけど、どこいったのかな。あのラジカセにさよなら。

そしてあの頃曲を溜めていったカセットテープ。まっさらなテープが曲が入るにつれて色がついて、自分だけのものになっていく感覚。CDみたいにランダムアクセスできないけど、どの辺りにどの曲が入っているか、自然と覚えてしまう。

カセットテープとは明確にお別れした覚えがある。デパートの手提げ袋一杯になるくらいのカセットをゴミに出した。その頃はCD Walkmanと一緒に出歩くのが日常で、カセットを聴くことは殆ど無くなっていた。もちろんCDを持っておらずカセットテープにしか入っていない曲もあったけど、「縁があればまた出会える。そうでなければもう聴くことはないだろう」と思って全てゴミに。

あれからたくさんのCDがウチにやってきた。再び出会えたのも多数。ここのところはCDじゃなくて配信音楽だったりするが、あれっきりになってる曲もある。再びあえなかった曲にさよなら。

そして自転車。これも機種に対するこだわりというよりも、走った感覚が今でも蘇るのが幾つかある。特に高校生になってからはもっぱら通学のための手段だった。列車通学だったが、自転車を2台持ってた。家から最寄駅まで、そして着いた駅から学校まで。学校は登り坂の一番上にあったので朝はひたすら漕いで漕いで辿り着く。代わりに帰りは漕がなくて猛スピードで降りられる。行きは地獄、帰りは天国。特に夏の間は。

冬になると根雪になって自転車は危ないので禁止になる。なので冬の間は代わりにバス。学校側の自転車を持って帰るのも一苦労なので、冬の間、預かってくれる商売もあったな。あの自転車たちはどこにいったのかな。二台の自転車たちにさようなら

そしてワープロ。ソニーのワープロを持ってた。「プロデュース」って名前だった。忘れてたけどググって思い出した。そして殆どの人が知らない2インチのフロッピーが付いてた。買った頃は面白くて使ってたけど、すぐにPCに移ってしまった。あのワープロ、どこに行ったんだろ。プロデュースにさよなら。

そして代わりにPCではいろいろ書物をしてたのを思い出す。特に初めての海外生活の1年目。新しい発見や驚いたことを日記風に書き残していた。ブログとかいう言葉ができるずっと前のこと。

ちょうどその頃に最初の子供も産まれて、その日のことも書いた覚えがある。あの時のテキストファイルはどこにいっちゃったのかな。失くしたくないなと思ってバックアップとか取った覚えがあるけど、それもいつの間にかどこかにいってしまった。あのテキストにもさよなら。


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